不惑倶楽部 ―台湾遠征記― 
<2002年1月25日〜28日>

2002/02/04

#176 小倉 光雄
小倉さん  不惑倶楽部の台湾遠征は5年振り、今回が7回目となる。この遠征は、早稲田大学OB・元日本代表そして不惑倶楽部のOBで昨年亡くなられた柯子彰氏の追悼記念試合を兼ね、台湾巨人軍及び淡江中学OBと台北不惑との親善試合が目的であった。
 ベトナムからは窪田さん、九州から丸田さんと桜惑倶楽部の福元さん、そしてサポーターを含め総勢59名の参加となった。
<1月25日(金)>
7:05羽田空港国際線集合で7:30には54名全員揃った。HIS社員からそれぞれチケットを貰い、遠征用ジャージーが配られたあと、8:00に結団式。杉本要二会長、今回遠征の団長である平島正登副会長、吉田荘治ツアーマネジャーの挨拶があって搭乗口へ。
 9:05 定刻通りにテイクオフ、機内で直ぐ飲物が出た。午後ゲームがあるためサポーターを除く殆どのメンバーは、じっと堪えてオレンジジュースを注文していたが、一部の人は、キックオフ迄の時間を指折り数えてまだ大丈夫と自分を納得させ、ビールやワインを頼んでいた。
赤パンツ
 飛行機は、予定通り現地時間11:45(日本と1時間の時差)に台北空港へ到着。台湾巨人クラブ会長の黄さんが出迎えてくれる。

 ホテルの部屋でジャージーに着替えバスで百齢橋球技場へ。台北空港へ着陸した時に滑走路がびしょびしょに濡れていたので、これはひどいグランドで泥塗れになると思っていたら砂を撒いたのか場所によっては砂浜状態であった。
 台湾巨人クラブとの対戦、第一試合の赤パンは残念ながら敗北、第二試合の白パンは勝利。
黄色パンツ 対台湾巨人クラブ
 試合終了後、そのままバスでホテルへ帰りシャワーを浴びて着替え、バスでファンクションの行なわれる富貴楼というレストランへ向かう。
柯さん台湾はこの時期忘年会のシーズンか、入り口付近の宴会場では若い人達の集まりでバンドが入って大変な賑わいである。こちらも台湾巨人軍のメンバーを加えると100名は優に超えるパーテイで、千原さんや小林桂さんそして平島さんなど何回も台湾へ来ている先輩方を筆頭に各テーブルが盛り上がって、あっという間の2時間が過ぎていった。
台湾巨人クラブの人達に見送られ、バスでホテルへ。ホテルへ着いて30分後に、遠征では恒例の津野バーがオープン。アルコール好きな者10数名が押しかけてほぼ満員状態。ワイワイとおおいに盛り上がったところで 24:00、閉店となった。日本では、酒飲みのことを“のんべえ”というが、あちらでは“酒鬼(ジョウコイと読む)”というのだそうだ。
<1月26日(土)>小雨  今日は朝から雨だ。
 朝食を取って9:00ロビー集合、午前中は市内観光である。最初に訪れたところは、台北市の中心に敷地が25万uの中にある中正記念塔で蒋介石を奉ってある。蒋介石の銅像を守るため、2名の衛兵が両脇に立っている。ロンドンのバッキンガム宮殿の衛兵と同じようなものだ。この衛兵は、身長178センチ以上容姿端麗でないと資格がなく3ヶ月の猛特訓を受けてはじめてなれるそうだ。じっと見ていると微動だに動かない。背中がかゆい、頬っぺたに蚊がとまったらどうするのか気になった。パンフレットを衛兵の目の前にかざし左右に振ってみたがまばたきもせず真っ直ぐ前方をみたままなのだ。訓練でここまでできるのか、と感心してしまった。

 二番目に訪れたところは、忠烈詞というところ。日本でいえば靖国神社だそうだ。 柯さん
 ここで、衛兵の交代式を見たがビシッと決まってかっこいい。1時間毎に交代だから、その間身じろぎもせず直立不動の姿勢で立っているなんてまさに神業あり自分にはとても不可能である。これで月給2万円ではやってられないヨ。
 昼食の台湾料理はおいしい。昨晩たらふく食べたので、せいぜいラーメン位でいいと思っていたが出てくると結構お腹に入るものだ。

 食事が済んでホテルへ。スタイルして淡江中学へ向かう。今日は、白パンが先で淡江中学OBクラブと、赤パンは台北不惑との試合である。  淡江中学へ着いても小雨状況。グランドは、ところどころ水が溜まっている。 白パンが水溜まり付近で横になって水を吸ってくれないかなあと良からぬことを思っているうちに白パンの試合が始まり勝利した。赤パンは前半差を広げられたが、後半はかなり頑張り敗れはしたものの締まったゲームになったと思う。
赤パンツ
 試合終了後、ホテルへ戻りシャワーを浴び着替えてバスで台北市議会を表敬訪問。会議場はかなりハイテク機器が揃っていて、例えば各議員の席にはマイクがついており質問は自分の席で出来るので前へ出て行く必要がないと言う訳である。希望者は、議長席で記念撮影が許され、数名が議長になった気分でカメラに収まっていた。また、別室で市議会がなにをやっているかについて、15分位のPRスライドを見たが日本語での説明であり、聞くと英語版もあるという。その点日本は遅れているのではないかと私は思いますがどうでしょうか。

ファンクション ファンクションは市議会のレストランで行なわれた。市議会訪問の記念として全員に男性にはネクタイ女性にはスカーフを頂いた。みんなよく飲み良く食べる。歌も入り盛り上がったところで、最後にみんなで輪になって肩を組みホタルの光を合唱してお別れとなりバスでホテルへ戻る。

 以上で公式日程は終了。翌1月27日はオプショナルツアーへ参加する人、自由に行動する人、帰国する人それぞれの行動となった。

 今回の遠征は、天候だけは恵まれなかったものの(20世紀まで私は“今世紀最大の晴れ男”という異名をとっていたのだが、21世紀に入ってからはからっきしダメ…)、台湾の黄さんや不惑の平島団長、吉田ツアーマネジャー他皆さんのご協力によって全員無事に、そして楽しい思いでを胸に帰国できたことに感謝致します。有り難うございました。
懇親会

不惑倶楽部21世紀最初の海外遠征 
 ―バンコク遠征―
 <2001年1月19日〜22日>
2001/01/28

#272 石川 眞
石川さん
 1月19日夕刻、厚い雲が垂れ込め寒々とした成田空港を杉本会長、三浦、小池両理事の見送りを受けて、吉田団長以下白パン主体に紺、赤、黄パン選手更にサポーターを含め総勢27名が東南アジアの中心地タイ国首都バンコクに向けて勇躍出発した。6時間の空旅は、ドリンクも手伝って盛り上がりあっという間にバンコク空港に到着した。到着時刻は午後11時であったが、気温は25℃で汗をかく程。入国時に少しトラブルがあり、1時間程度待たされたが午前1時前に無事宿舎であるソル ツインタワー ホテルに旅装を解いた。ホテルで九州から参加の山内ファミリー(6名)と合流した。

 1月20日。試合は午後6時30分キックオフで予定されている。昼の観光は、今回の遠征をアテンドしてくれた現地駐在の大国能彦氏との行き違いがあったが、ツアーマネージャーの機転により市内観光のバスツアーが取れてワットアランやワットポー等の寺院やエメラルド宮殿をゆっくりと見学して英気を養った。

赤パンツ奮闘

 午後4時過ぎホテルロビー集合。大国氏の案内で、市内のど真ん中にある競馬場・ゴルフ場を併設しているロイヤル バンコク スポーツクラブの綺麗に刈り込まれた芝生のグランドへ向かう。試合相手はバンコク駐在の日本人ラグビークラブをはじめ英系人主体ラグビークラブ、仏系人主体ラグビークラブの3クラブ混成チームで平均年齢35歳くらいと思われる「盤谷黄金年配野蛮人闘球隊」である。

 試合は25分×3ハーフで組まれ、1,3ハーフを白パン組、間の2ハーフ目が赤パン組を入れたゲームで6時30分キックオフ。レフリーは香港セブン等でレフリングされている英国人のDAVID氏。洗練されたレフリングで最高な試合が出来たと感じられた。最初の試合は、白パン主体で、外人主体相手に一歩も引かぬデフェンスで付入る隙を与えず、フォワードからのタイミングのいい球出しでバックスの理想的な2トライであった。終了間際の決定的なチャンスを逃した後、インジェリータイムに隙を突かれカウンター攻撃を受けたのは痛ましい限りだった。

 2ハーフ目の試合は、赤パン組をいれたメンバーだが相手チームは50才台が1〜2人。安部、桑原、山田氏等ベテランフォワード勢のボールへの執着、森(直)氏のナイスタックル等若手のバックアップもあり、よくボールをキープして互角のゲームであったが脚力の差で逆転された。

アフターファンクション

 3ハーフ目は、再び白パン主体であるが、3本連続出場者が多く疲労の色隠せず、相手若手に楽しまれたのは、非常に残念であった。ラグビーはフォワードからと言うが、3試合を通じてフォワードの活躍が光った。全員持てる力を出し切り大きな怪我もなく試合できたことへの満足感に満ち溢れていた。

 アフターゲームファンクションは、同クラブのクラブハウスで心地よい夜風に吹かれて始まり、何時もながらの和やかな交歓で記念品の交換等の後、余興で1組5名のビール呑みリレー2回戦があり、これには連勝を…と意気込んだが惜敗・楽勝のドローで終った。締め括りはエール交換。元気な不惑ソングがバンコクの夜空に吸い込まれ、全員充ち足りた気分で午後11時ホテルに戻った。

 1月21日。終日フリーで、ショッピングを楽しむグループ、アユタヤ遺跡へのオプションツアー等各自が夫々ゆったりと一日を過ごした。

 1月22日。今回の遠征最後の日。午前4時15分にホテルをチェックアウトしてバンコク空港に向かう。全員トラブルなく出国手続きを終えて、間もなく機上の人となり午後2時30分定刻に成田空港到着。大変ハードなスケジュールにもかかわらず一人の落伍者もなく、21世紀最初の不惑倶楽部海外遠征が幕を閉じたのである。

 吉田団長はじめ塩澤ツアーマネージャーほか参加した皆さんご苦労様でした。
 最後に、今回の遠征をアテンドしてくれたバンコク駐在の大国能彦氏に感謝致します。 (2001.01.25)




<アジアの惑クラブチームとの交流>

年月日 対戦チーム グランド
1970/02/14 台湾師範OB 三菱船橋G
 当時、台湾師範出身の王仁隆、呉允が不惑倶楽部のメンバーでプレーしていた。 
1972/05/07 台湾巨人軍/アメリカンスクールG 香港台湾遠征 5/4-8
1978/01/29 台湾巨人軍 山一證券船橋G
1987/11/03 台湾巨人軍 熊谷市営G
1988/01/14 台南不惑 台湾遠征 
1988/01/16 台北不惑
1989/01/14 台南不惑 台湾遠征 
1989/01/15 台北不惑
1990/01/13 シンガポール クリケットクラブ シンガポール台湾遠征 
1990/01/16 台北不惑
1991/01/12 台南不惑   
1991/01/13 台北不惑
1993/01/16 台北不惑  
1997/01/18 台北不惑 シンガポール台湾遠征 
1997/01/19 シンガポール クリケットクラブ
2000/01/29 ガイウ(白パン) 香港遠征
2000/01/30 香港フットボールクラブ(白パン)
2001/01/20 盤谷黄金年配野蛮人闘球隊 バンコク遠征
2002/01/25 台湾巨人クラブ 台湾遠征
2002/01/26 淡江中学OBクラブ/台北不惑



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