ラグビーを長く続ける為に パート1
<2003年9月6日>
2003/10/04

『ラグビーを長く続ける為に』と題して日比野弘氏、宝田雄大氏をお招きし講演会を下記に開催しました。
不惑倶楽部の会員初め、レフリー、クラブ関係の方々 60名ほどご参加いただきありがとうございました。

日時   :平成15年9月6日(土) 14:00
場所   :秩父宮ラグビー場クラブハウス2階会議室

第一部
◆宝田雄大氏
 「ラグビーの基礎体力および、練習方法」

講師略歴
早稲田大学卒業
早稲田大学スポーツ科学部スポーツ医科学科講師
専門はトレーニング科学、スポーツ生理学
日本代表のコーチもされています

第二部
◆日比野弘氏
 「ラグビーの素晴らしさ」

講師略歴
早稲田大学卒業
早稲田大学人間科学部教授
日本ラグビーフットボール協会副会長

当倶楽部理事長 平島の挨拶

「ラグビーの基礎体力及び練習方法」 講師 宝田 雄大氏
 ラグビー選手にどういう運動能力が必要かについて話をしたい。こういうものが必要である。こういう方向でトレーニングをすればいいというイメージをもってもらえばいい。
 毎年12月に行なわれる早明戦を10年位前に振り返ってみます。早稲田は、スクラムで押される、スクラムを組ませてもらえない、モールで劣勢、密集を割られる、オフサイドになる。こういう局面が多々あった。一方、早稲田はボールをまわす展開ラグビーである。明治は荒々しく、パワーフルである。一方、早稲田はより早い。戦術として明治は縦で個であり、早稲田は横で組織である。身体的特徴は、明治が大柄で、力強い。早稲田は細身で小柄である。細身だから運動を長く続けられる印象をもつ。最近は変わってきたが、長い間このようなイメージを持っている。10年位前8人の平均身長に1〜3cmの差がある。早大が低迷しているときは3cm位の差がある。最近は非常に近づいてきている。体重差で8kgあるときがあり、最近はほとんど差がない。差が出るといい勝負が出来ない。

 ラグビーはコンタクトプレー、接触プレーである。体格がものをいう。身長であったり、筋肉の量であったり、体重であったりする。筋肉の量は身長に比例する。なぜかといえば、筋肉は骨格についている。骨についている。身長が高くて骨が長い人は筋肉の量が多い。日本人と外国人を比較すると身長の差が大きい。体重が違ったり、筋肉の量、パワーが違う。体重と身長が大事なファクタである。今のラグビーは接点が多いので身体資質は非常に大きく反映する。ラグビーに必要な要素はプレーを磨く、強いプレーを目指す。一流のプレーヤになっていくには体が大きい方が有利である。そのことにより、筋肉の量が増える。当たりが強くなる。明治は大型で、筋肉の量が多く、パワーが出せる。早稲田はスリムで長いこと運動するのが得意である。日本代表が外国に行ったときも同じである。

 身長を伸ばすのは無理である。どのように変えていくか。筋肉は原動力であり、筋肉のエンジン特性は日頃のラグビースタイル、練習の内容の違いがそのまま反映する可能性が高い。早大の練習は3〜4時間と長かった。今に比較すると1回当たりの時間が長かった。ずっと走っているときもあった。時間が長くなると運動強度は下がる。2kmと30mでは速度が違う。運動強度は距離、時間によって一義的に決まる。現在はストップウオッチをもって管理をしている。ヘッドダッシュ1本を何秒で走るか。その後、どの位休むか。それが筋肉の特性を決める。そのことが試合に出てくる。いつも5kmを同じスピードで走っている人と、500m4回走っている人では筋肉の性能が違ってくる。100mのランナーとマラソン選手では体が違う。距離が違うと筋肉の種類が違う。だから、練習の内容が大事になってくる。

 パワーラグビーが好きか。パワーラグビーを中心でやるか。ランニングラグビーにするかによってコンビネーションの時間、スピードが違う。使われる筋肉の時間、強度が変わる。ラグビースタイルと日頃の練習の取り組み方が密接に関連している。チームによって変わって来る。チームの目指す方向性と選手の資質によって変わってくる。

 筋肉は体重の50%強ある。その約60%は水分である。筋肉は加齢に伴って細くなる。20〜22歳をピークにして年1%で機能、性能が衰える。衰え方はトレーニングによって衰えにくく出来る。そういう方は落ち方が違う。筋肉はアメリカでは60〜70歳のウエートトレーニングが盛んである。60〜70歳でも筋肉が太くなり、可逆性があり、変化ができる。パワーリハビリがはやっている。膝、腰、肩が痛くなるのは加齢によって筋肉の量が減るからである。使わないから減るのである。使えば、強くなる。ラグビーを楽しむためにはある程度の筋力を鍛錬すべきである。例えば、しゃがんだり、ウォーキングをしたり、坂道をゆっくり歩いたり、階段を歩いたりすることによってぜんぜん変わる。ぜひ明日からでもやっていただきたい。

 筋肉の量を増やすということはほぼ筋力を高める。筋力が高まると筋断面積がそれに見合ってくる。身長は変わらないので筋力、パワーを増やす。増やすと筋の断面積が太くなる。体重に反映する。ラグビーにおけるパワープレー、瞬発力がいるプレーで安定してプレーが出来る。出来るだけ週3回でも筋力トレーニングをする。あるいは坂道を上がる。階段を上がる。腕立て伏せを行なう。それによってかなり変わる。

 太腿の運動を軽く20〜30回やるのは、運動時間が延び、運動強度が下がる。軽いものを30回よりやるよりは、重いものを10回をやる方が筋力が付くという筋肉の特性がある。いくら1時間ウオーキングしても膝は痛むのはそういうところにある。運動処方の誤りである。1時間の力強さが必要である。パワーリハビリが流行っている。歩くために、ジョギングのためには筋力が必要である。それは別途トレーニングしないと付いてこない。
 10回出来る重量設定すると20回より重たい。筋肉はいっぱい力を出さないといけない。そういった運動条件で3セット週2回やって下さい。そうしたら強くなる。太腿は基礎の基礎である。これがないと切返し、踏ん張りもきかない。下半身を鍛えるというのは大事である。階段の上下でもいい。平地を歩くより筋肉が付く。例えば、トレーニングすると太腿の部分が約15%増える。

 腹筋は膝を軽く曲げて行なう。軽い負荷で30回3セット、40回3セット。運動の強度を下げて行なう。運動時間を延ばす。腹の周りの脂肪が減る。長い運動すると脂肪が減る。マラソン選手は脂肪がなく、細くなる。逆に重たい重量を力一杯やると筋肉が太くなる。設定される運動プログラムによって体が変わっていく。

 私も昨年ダイエットをした。96kgあった体重が6ヶ月で22kg減少し、ウエストが20cm細くなった。1kg減量でウエスト1cm細くなる。胸囲は10cm細くなった。生活習慣病がなくなった。運動条件と体の方向性を身を以って体験した。運動だけではなく食事が大事である。脂肪100gを消費するのに対し900キロカロリの熱量がいる。900キロカロリを消費するのに大変な運動が必要である。1時間歩いても200〜300キロカロリである。
 早稲田の選手は長い運動をしている。脂っこいものをとっていない。明治の選手はゆったりしてここというときには力を出す練習をしている。エネルギーの消費がないので脂肪がのる。だから、毎年毎年の早明戦の平均身長、平均体重は偶然でなく、必然である。ここ3年間早稲田は逆をやっている。パワープレーで負けないため、練習時間を短くして1回当たりの大きな力を出すようにしている。年間を通してウエートトレーニングをしている。

 ラグビーはコンタクトがあるのでウエートトレーニング、筋力トレーニングをしないといけない。運動時間を短くして大きなパワーを発揮するような運動を間歇的にやっていくべきである。そういうことによってパワーが付いてくる。筋力が付いてくる。今のラグビーで必要であり、あるいは更に必要になってくるだろう。
昔低いタックルに入れといった。いまのラグビーではボールを繋がれ、身体的ダメージが大きい。80分間に筋ダメージが現れる。スキルレベルが高いほど現れる。高校ラグビーが面白いのは私見であるが、試合時間が短いからである。40分に伸ばされれば、あまり、どんでん返しが起こらなくなる。確実にダメージが出てくる。例えば運動前と運動後ではダメージを受け、筋肉のミトコンドリアというエネルギー工場がぐちゃぐちゃになる。試合の最初に受けると30から40分後には筋肉の節がおこる。気合をいれても力が出ない。そういう抑制がかかる。だから、選手起用が大事である。キックオフでタックルを食らって動けなくなったら、早い時期に交代が大事である。プレーの再現性がずれてくる。半歩ずつ狂ってくる。筋ダメージを受けている。

 いまのルールでは、コンタクトが強くて、大きな選手は強い。どう防ぐか。コンタクトレスも一つの方法である。コンタクトを受けても筋ダメージを減らす方法がある。例えば、スクラムを5対8で組む。3対5で組む。モールゲームを5対8でやる。そういったパワーゲームで劣勢を作る。坂道でスクラムを組む。週1回でも2回でも繰り返していると同じ状況で筋ダメージが減る。早稲田はサントリーに毎週行っている。学生レベルではない強い当たりを受けても最後までデフェンスが出来る。ポイントをずらせることなく80分デフェンスが出来る。相手を向こうに倒すことは出来ないが、ダメージの軽減は出来る。筋力を維持して、劣勢の中でモールゲームをやってみる。そういったことが試合で大きな力を出すきっかけとなる。

 試合が終わると一番ダメージがあるのは試合後の24時間後と48時間後である。血中に壊れた筋肉に蛋白質が出てくる。その濃度が高いのは24時間後と48時間後である。だから、月曜日と火曜日は慎重に行動していただきたい。出来れば、休んでいただきたい。出来るだけお酒を控えていただきたい。これが、アルコールでさらに24時間伸びる。注意してもらいたい。

 タックルの数が増えると筋ダメージが大きい。筋ダメージがあるとすべてオフセットされる。だから、定期的に強い相手とコンタクトすることが大事である。では、コンタクト力とはなにか。体重×走る速度である。だから、体の大きい人の方がダメージが大きい。例えば、体が小さくても昔タックルポイントに走りこめという話があった。あれは大事なことで体重が同じであれば、速度が速い方が速度の自乗で運動エネルギーが効く。相手に与えるダメージが大きい。早く走りこむことである。ただし、体がつぶれない程度である。

 みなさんが練習していく中で練習の時間を管理してもらいたい。ランパスを何秒やっているか。次の順番まで何秒休んでいるか。それを管理してもらいたい。運動時間は大体20秒で、40〜60秒休む。それより短いときつくなる。ヘッドスピードでもランパスでも、それを20分位やる。それで大分変わる。その前には有酸素運動のウオーミングアップを15分やって下さい。それに合わせてやはり筋力、足腰の怪我につながるので、階段上下、足腰のエクスサイズを週2回で結構ですから、取り組んでいただきたい。
 それで不惑倶楽部のラグビーチームがますますパフォーマンスを発揮出来ることをお祈り致して、少しでも役に立てればありがたいと思っています。
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「ラグビーの素晴らしさ」 講師 日比野 弘氏
 不惑倶楽部がラグビーだけでなくNPOの資格をとってボランティア活動にも力をいれていることに敬意を表します。
 少子化やスポーツ離れの影響で、ラグビーのプレーヤーが減少し、ファンが減ってきました。日本ラグビー協会は定年制を引いて、会長、副会長は70歳、理事は67歳として、若返りを計りました。今、何をすべきかを検討し、新しいビジョンを定めて、ラグビーを再びトップレベルの魅力ある競技にするということを掲げました。調査してびっくりしたことは、ラグビーのファン層が逆三角を形成して、年配者の50歳以上の方に大きな部分を支えられているという現状でした。最近の若い人はラグビーに関心がない、観戦したことがないという人達が増えているのです。みなさんのように、生涯スポーツとしてラグビーをプレーするだけでなく、組織としてラグビーの普及発展その他に貢献して下さることは素晴らしいことでもあるし、協会としても大きな力になる存在なのです。
そこで今日はみなさんに、私のラグビーとの出会い、海外留学で受けたカルチャーショックなどの話をしたいと思います。

 ラグビーに出会ったのは中学生のときです。板橋区の城北中学で、教育大学の学生であり教員であった増田靖夫さんと鈴木修さんが私のクラス担任でした。体育の授業でラグビーを教えてくれました。先生たちが試合に出るというので、秩父宮ラグビー場に応援にいった。それがラグビーとの触れ合いです。
 都立大泉高校に入学したとき、早速体育の門馬先生から呼び出しが掛かった。「ラグビー部に入らないか。」というお誘いでした。憧れの硬式野球ができると、グローブを毎日磨いていた私は迷わず「野球部に入ります」と答えました。「大勢が野球部に入るので1年間は外野で声を出しているだけだよ。ラグビー部に来れば即レギラーだよ。」と言われ、その場で入部を決めました。いま考えると私が人生で一番いい決断したのはあのときでしたね。
 二年生のとき、皆さんもご存知の堤治美先生がラグビー部の顧問として赴任されました。高校では花園に出られませんでしたが、私が主将になった三年生のときに東京都の準決勝までいきました。相手は当時強かった保善高校で、全員坊主になって頑張りましたが、やっぱり完敗したのも、今ではなつかしい思い出となっています。
 ラグビーを始めるという動機の中で一番多いのは、親兄弟、親戚、先輩、知り合いに影響されたというケースです。皆さんにはこれからも多くの少年たちに、この素晴らしいラグビーとの出会いを作ってくださることを期待いたします。

 早稲田での四年間はラグビーに明けラグビーに暮れましたが、このスポーツの底の深さ、面白さ、魅力にとりつかれたのは、卒業後に監督・コーチをやるようになってからです。そして、あっという間に50年経ちました。北島忠治さんが「わがラグビー人生50年」という本を出したとき「すげえなあ」といってびっくりしましたが、私もそういう本が出せるような年になったことは喜んでいいかのかどうか。ほんとうに月日の経つのは早いものですね。

 ラグビーの魅力のひとつにアマチュアリズムがありました。あったと過去形で言わざるを得ない現状には複雑な思いがありますが、これも時代の趨勢でしょう。 しかし、日本のラグビーを支える殆んどの人はアマチュアです。プロもアマもラグビーを愛する心で一体となれます。これからもアマチュア精神を支えにしてラグビーを守り立てていきましょう。 

 ラグビーの素晴らしさを一言で表しているのがノーサイドです。人生には、いろいろな人との出会いがあります。早稲田にとって、明治は永遠のライバルです。しかし、素晴らしいライバルがいて素晴らしいゲームができるのです。負けたときは悔しいし、1年間そのために努力してきたとすれば、とても冷静でいられるはずはありません。でもその悔しさを超えて「おれたちもあれだけ頑張ってきたのにやられた。おまえらもすごいな。」と相手を尊敬する気持ちになり、ライバルとの新しい友情が芽生える。これがラグビーの本当の素晴らしさ「ノーサイドの精神」です。

 海外遠征で忘れられない思い出があります。不惑で長くやっている人は、カナダのビル・ダンバーをご存知だと思います。1976年、私が初めてジャパンの監督でカナダに行きました。監督が未熟で1勝4敗という無様な成績となってしまいました。そのときビルが私達のチームに付きっ切りで世話をしてくれました。それから大変親しい交流が生まれました。 

 彼が日本にやってきたときに、当時世話になった連中を電話でかき集め、共に酒を飲み、歌を歌い楽しい一夜を過ごしました。分かれるとき「これから、どうするか。」と聞いたら、「関西、九州にいって親しい友人に会ってから帰る。」ということでした。「随分優雅な熟年旅行じゃないか。」と冷やかし、再会を楽しみに分かれたのですが、我々は彼が日本を離れてから、彼がガンに冒されていたことを知りました。そのときの彼の心中はいかばかりだったのでしょうか。彼はガンを告知されたショックに打ち勝って、元気なうちにノーサイドの友人達に別れを告げておきたいと思ったようです。本当はどんな辛い旅行だったのか。その彼が、まったく我々に気取らせずに、あれだけ豪快に歌い、笑い、そして心の中で別れを告げていった。そのビルの生き様を見て「すげえやつがいるな」という感動を覚えました。私がガンだといわれたら、あれだけ強く生きられるかどうか。人間として自分が全く未熟だということを教えられたような気がしたのです。遠征団長だった正野虎雄さんの呼びかけで集めた200万円のお見舞いを、彼の枕元に届けたときは、もう彼の意識はなかったと聞きました。バークレーパークのラグビークラブに、そのお金でビル・ダンバーメモリアルルームを作る一助にしました。私もそこで彼の遺影に別れを告げながら、感慨深く酒を飲んで来たことがあります。人生は本当に試練の戦いの連続だと思いますが、そういう耐えがたい状況に陥ったときに、どれだけ強く生きられるかが、その人の価値であると思います。本当にラガーマンとして素晴らしい生き方を貫いた男だと、ビルに永遠の敬意を表したいと思います。それ以来、私も自分が少し強く生きられるようになったような気がします。何か行き詰まったり悩んだりしたとき時、必ずビルの顔が浮かんできます。「おいヒロ、何をそんなにしょぼくれているんだ。世の中にお前より辛く苦しい思いをしている人はいくらでもいるんだぞ。もっとしっかりせんか。」と気合を入れてくれるのです。僕の心に浮かぶ彼の顔はいつも豪快に笑っている顔です。彼が生前、悲しい顔を見せたことがないのと、もう一つはノーサイドのパーティの中での楽しい思い出によるものです。

 いつものようにビールの早飲み競争したりして騒いでいる中で、ビルが私に「おいヒロ、こういう話を知っているか。」と動物のラグビー小話をしてくれました。『ある日いろいろな動物が集まって俺たちもラグビーをやろういうことになり、それぞれのチームを作った。キャプテンには象とサイが選ばれた。サイチームはボールをキャプテンに集め、サイが角を振りかざして突進して来ると誰も止められないので、前半からワンサイドゲームになった。』私が「ビル、ちょっと待て。どうやってサイがボールをもって走るのか説明してくれ。」「そんなことはいいんだ。最後まで話を聞け。」『ハーフタイムに象が全軍を集めておまえら何としてもサイをタックルしろ。サイを倒せ。と激を飛ばし後半に入った。前半一度も止められなかったサイがボールを持って突っ込んできたら、今度は見事にタックルされて、ズデンドウと倒れた。象が喜んで、「一体誰が倒したんだ。」するとムカデが出てきて「私です。」ムカデがサイの足に絡み付いて倒したという。随分でかいムカデがいるものですが、象が喜んで「ナイスタックル」といい「でもお前が前半からいてくれれば、ワンサイドゲームにならなかったのに。お前は前半は何をやっていたのだ。」「スパイクを履くのに手間取っていました。」』そういう落ちのある話で、ビルと私は泣いて笑いました。

 ノーサイドの精神があるために、日々新たにラグビーを通じて友人が出来ます。共に戦った味方、相手はもちろんのこと、ラグビーをしていなかった人ともラグビーという媒体を使って、多くの友人が出来、その中で自分が育てられてきました。ラグビーの素晴らしさはノーサイドの精神に尽きると思います。皆さんには、この素晴らしいノーサイドの精神を広めていく推進役になって欲しいと思います。

 1986年には早稲田大学の海外研修制度で留学させてもらいました。私の場合、英国ラグビー協会強化委員会の客員ということで行かせて貰いました。ドン・ラザフォードが委員長のときです。このとき、多くのカルチャーショックを受けました。自分のラグビーに対する考え方も大きく変わった時代です。かれらの生活の中に、ラグビーが見事に組込まれているのを実感しました。私はロンドンの南西、リッチモンドよりも遠いバンステッドに一軒家を借りました。日本から大勢遊びに来るので、遠くても広いところにしたのです。 

 最初にしたことは、浪人生と中学一年生の二人の倅を、語学学校のあるロンドンに通わせるために列車通勤の方法を教えることでした。バンステッドの駅には、サンデーはノーサービスという掲示がありました。日曜日は駅員がいない、と教えたのですが、実は日曜・祭日は電車が来ないということでした。

 二人をリッチモンドクラブに入会させました。受け入れは配慮が行き届いたもので、子供たちが抵抗なく楽しめるように出来ています。二男は一度もラグビーボールを触わったことはありません。最初の日に、はじめて練習に参加しましたが、言葉もプレーもわからない状態でした。コーチが一緒になって、少人数のゲームをさせる。未経験の子供にボールを持たせてトライをさせる。わざとではないのですがが、大人が入ってボール捌きをすると、そういうことが出来ます。コーチは私のところに飛んできて「いまのプレーを見たか。お前の倅は立派にやった。」と上手に親子を引っ張り込むのです。帰るとき、「来週はマウスガードを作るので25ポンドを持たせてくれ。」といわれて説明書を渡されました。そこには「骨は折れても治りますが、歯は折れたら生えてきません」と書かれていて妙に納得したものです。

 長男はアンダー19のチームでやらせてもらいました。私が見てもレギュラーとは差があり、戦力になるとは思えません。シニアのゲームは土曜日に、ジュニアのゲームは日曜日にあります。土曜日の晩になると、必ずジュニアコーチから電話がかかってきで、「明日はぜひ来てくれ」といわれます。倅に「お前コーチに少し買われているのか。」と聞くと、「そうじゃないよ。こっちではリザーブだと誰もやりたがらない。そこで自分はどこへでも行くので貴重なスーパーサブなんだ。」ということでした。

 このあたり、海外との感覚の違いは随所に出てきます。ラグビー発祥の地ラグビー校は、ほぼ全寮制で約700人が寮生です。彼らに「グラウンドやピッチはいくつあるの?」と聞くと、「わからない」といいます。先生もよくわかりません。「30ぐらいですかね。」これは日本とあまりに違いすぎます。彼らは水曜日がハーフホリディで、午後にはみんなでスポーツを楽しみます。グラウンドを作ったというよりも、グラウンドの中に学校を建てたという表現の方が正しいと思います。彼らにとって当り前のことなのでしょうが私にとっては考えられないことでした。寮生700人でなぜこんなにたくさんグラウンドを持っているのか、日本と比べてあまりにも不公平じゃないかと一人で怒っていました。

 こんどは彼らが私に質問してきました。「早稲田大学には学生が何人いるのか。」「45,000人いる。」「ラグビーのピッチはいくつ?」「たったひとつ。」彼らには「このおじさん、数に弱いんだ」としか理解できなかったのだろう。
 「早稲田はプレーヤーが何人いるのか。」「150人いる。」「シーズン何チームでオフィシャルゲームをやっているのか。」彼らには30人以上をひとりで指導するということは考えられない。「我々の公式試合はファーストフィフティーンだけだ。」「他の連中は何をやっているのか。」「レギュラーを目指して頑張っていることと、トップチームの一員だという誇りを持って世の中に出て行くんだ。」「ちょっと待ってくれ。ラグビーのクラブに入るというのはゲームをエンジョイするために入るのだろう。」彼らは力がないから5軍でやることには文句をいわない。いわば、ゴルフクラブのメンバーになったのに、「おまえはへただからコースに出てはいけない」と言われるのと同じなのです。文化の違いを感じさせられました。

 カナダでジャパンが転戦していく中で、あるクラブにチーム全員が接待を受けたことがあります。そこは根太が抜けそうな超オンボロな建物でした。でも彼らは「俺たちがやっと手に入れたクラブハウスだ。」と胸を張って言っていました。私はそこでクラブのあり方の原点を教えられたのです。日本にはチームがたくさんありますが、本当のクラブが少ない。まず、グラウンド、クラブハウス、クラブメンバーの3つがあって、始めてラグビーのクラブだといえます。今の日本では特に大都市で思うように任せませんが、今後自治体などの協力を得ながら、ホームグランドといえるものを持ち、みんなで参加できるクラブハウスを持つということが、不惑にとっても日本のクラブチームにとっても、まず第一に目標にすべきことでないでしょうか。生涯スポーツとは、年を取ったらゲートボールやるというのではなく、自分が本当にのめりこんだスポーツと一生付き合っていく。その付き合い方が年齢に応じて違って行く。そういう意味で不惑クラブも、メンバーは変わっていくでしょうが、100年、200年の将来を見据えて頑張ってほしいと思います。

 本当のクラブライフとは足腰がいうことを効かなくなって、車椅子の生活になっても、ともに語り合える仲間がいることが、生涯スポーツで最も大切なことだと思います。特にプレーができなくても、週末そこにいけば、みんなが集まり、孫のような年代の連中ともラグビーを通じて一体感がもてる、これが他のスポーツ以上にラグビーには大切であり、ラグビーの素晴らしいところです。

 今年はラグビー改革の年です。ワールドカップも近づいています。社会人のトップリーグが9月13日から始まります。いいカードをファンに提供するとともにチーム、選手のレベルを高めることが目的です。ラグビーは今まで大学スポーツを中心にして発展してきました。これは素晴らしいことなのですが、別の角度で見ると1月15日でシーズンが終わってしまう。世界に全く類のないスケジュールが組まれてきました。全国大会に進めないレベルのチームは、12月の声を聞いたときにはシーズンが終わっています。あとは練習ゲームだけの活動になっています。これを9月〜3月のフルシーズンにエキサイティングなゲームが組まれるようにしたい。外国のチームは、実力が均衡した激しいゲームを年間30試合以上やっていいます。日本の場合、改革後もゲーム数は増やせていません。年間16試合程度です。ゲームの中身を濃くして社会人のレベルを高め、合わせてジャパンの強化につなげたいのです。

 大学ラグビーでも大学選手権が人気を集めてきましたが、今年は16チームで1回戦を戦い、勝ち残った8チームが2つのグループに分かれてリーグ戦を行うことにしました。トップレベルのゲームがみられないということがかなり緩和されます。上位2チームづつが決勝トーナメントに出場して優勝を争います。レベルの高いゲームを増やすことと。ラグビーシーズンを少し延ばすための改革です。

 地区対抗大会が名古屋で行われています。大学選手権を目指しているチーム以外に、地区対抗を目指している大学は300チーム位あります。この大会の活性化はとても重要です。今年から医歯薬リーグの代表も出られるようになりました。大学のクラブチームの代表にも門戸を開きました。出場枠を8から12にしてこの大会を少しでも充実させることにしました。日本選手権は天皇杯のように22チームの参加にしました。地区対抗大学の優勝チームとクラブチームの優勝チームが新たに参加します。100点ゲームになるかもしれませんが、結果を見ながらさらに改革していきます。

 ワ−ルドカップではフランス、スコットランド、フィジー、アメリカと戦います。日本代表はここ数試合、苦しい戦いぶりでしたが、本大会ではぜひ1勝、いや2勝して欲しいと念願しているところです。

 まだまだお話したいことはありますが、時間になりましたので、不惑クラブの今後のさらなる活躍を祈り、大きな夢を実現してくれることを期待して、私の話を終わらせて頂きます。ご静聴有難うございました。
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